京都地方裁判所 昭和44年(わ)1068号 決定 1976年3月01日
主文
本件証拠調の請求はいずれもこれを却下する。
理由
本件証拠調請求の趣意は、要するに、第一六回公判において取調請求した現場写真三一葉は証拠物であつて、右写真と立証事項(被告人藤原利彦、同越智文和、同内藤進夫に対する公訴事実第一、同出口春彦に対する昭和四四年一一月一〇日付起訴状中公訴事実第一)との関連性さえ立証されれば証拠として採用され得るとの見解のもとに、別紙記載の各証人、被告人はいずれも右写真につき自己または関係者の存在を指摘しその内容を説明しうる者で、右写真の本件犯行状況を撮影したものであることを極めて容易かつ確実に立証し得るから、右写真と立証事項の関連性を明らかにするため同人らの尋問をぜひ許可されたいというのである。
よつて、審案するのに、本件証拠調の請求の当否を判断するには右請求に至る訴訟の経緯も無視することはできないので、先ずこれについてみると、それは次のとおりである。すなわち、
検察官は第一二回および第一五回各公判において検甲一三号(鳥羽収蔵作成の「九・二〇京大百万遍事件関係写真ネガ等の入手報告)、検甲三六号(鳥羽収蔵作成の捜査復命書)に代わる証人として犯行現場の状況、そこに被告人らのいた状況犯行状況の立証趣旨で警察官鳥羽収蔵を申請し、右証人は一旦採用されたものの、期日外において検察官から右証人は必要がなくなつたとして徹回の申立がなされ、第一六回公判において右証人の採用決定が取消されたうえ、あらためて検甲一三号添付の写真三一葉を証拠物として申請した。しかし、弁護人から異議の申立がなされ、第一七回公判において検察官から「裁判所が写真を検証調書に準ずるものであるという建前をとられるならあえて固守するものではないが、基本的には証拠物としての取調請求を維持する」との釈明がなされ、裁判長から、「裁判所の見解としては検証調書に準ずるものとして取扱うが」「写真の作成者は申請できないか」との発言があつた後、検察官は、「調査のうえ作成者を在廷させるようにする」と言明し、さらに裁判長からの期日外書面で申請されたいとの要望に対しこれを諒承する旨答えた。その後第三一回公判に至るまで検察官からは写真の作成者について何ら申出がなく、同公判に至つて再び第一六回公判に申請し決定留保中の写真について次回期日に決定されたいとの申出がなされ、第三二回公判において裁判長の更替による公判手続の更新がなされた後写真と立証事項との関連性を立証するとして証人鳥羽収蔵の申請がなされた。しかし裁判所は第一七回公判において示した見解を維持するとして、右申請を却下したので、検察官は第三三回公判において右立証趣旨を「写真撮影者が不明であるかどうか、判明しても取調べることができない特別事情が存するかどうか」に変更して再び同証人を申請し裁判所は右立証趣旨で同証人の採用決定をした。ところが第三六回公判において右証人は写真の撮影者の氏名については職務上の秘密にあたるとの理由でその証言を拒否したので、裁判所は刑訴法一四四条に基づき同証人の監督庁である京都府警察本部長に右証言することについての承諾を求めたが、同本部長は国の重大な利益を害する場合として承諾しなかつたので、第三七回公判において右証人にいてはそれ以上の尋問をなすことなく取調を終了した(これに対し検察官から異議の申立がされたが棄却された)ところ、第三八回公判において本件証拠調の請求がなされるに至つたのである。
そこでこのような本件証拠調の請求に至る経緯ことに裁判所がこれまで終始写真の取扱いについて検証調書類推説を採用し、この見解のもとに釈明、証拠の採否、証拠調等の訴訟手続を進行させてきており、この間検察官においても第三一回公判に至るまで証人鳥羽収蔵の申請を徹回したり写真撮影者を調査のうえ証人申請する旨約束する等裁判所の訴訟指揮にあえて反対せず、むしろ協力的であつたことにかんがみると、訴訟手続の安定性の確保の点からいつても、裁判所が写真の取扱いについて従前の見解を軽々に変更することはできないというべきである。もつとも右見解の誤りであることが最高裁の判決、決定において明示的に判断される等して判例上確固不動のものとなつたとみられる場合とか、右見解自体明らかに不合理で反対説からの批判にとうていたえられないと考えられる場合には右見解を変更するのもやむをえないし、むしろそうすべきであろう。
ところで、写真の取扱いについてこれを非供述証拠ないし証拠物と解してこれを証拠化するには立証事項との関連性を立証すれば足りるとの見解が判例の大勢を占めていること検察官主張のとおりであるが、検察官指摘の判例のほか、ビデオテープについてではあるが、検証調書類推説にたつて撮影者を尋問しなければ証拠能力を認めるべきではないとの判決例(大阪地裁昭48.4.16決定―判例時報七一〇号一一二頁)が存するし、最高裁においてもいまだこの問題に関し明示の判断をした判決、決定は出されていなのであつて、判例上確かに証拠物説が有力であるとはいえ、いまだ確固不動のものとなつたとまでは考えられないのである。そしてまた検証調書類推説自体学説上でも少数ではあるものの、なお有力な学者によつて主張されているところであり、反対説の批判にたえられないほど不合理なものとは解されない。
もともと現場写真は被写体の選択に始まり、撮影条件の設定(カメラ・フイルムの種類、日時、天候、場所、撮影角度、距離など)、レンズによる結像、フイルムの感光、現像、焼付などの過程を経て作成されるものであり、このようにして作成された現場写真は特定の日時、特定の場所で行なわれた特定の事件が表現されているのであつて、かかる作成過程、表現内容にてらすと、現場写真は撮影者により観察された事件の再現、報告という側面をもつており、その意味において人間がその観察した事件を言語、文字、図形によつて再現、報告する場合と極めて類似した構造をもつているので、現場写真の供述証拠的性格は否定し得ないのである。なるほど、レンズによる結像、フイルムの感光、現像、焼付などの光学的科学的過程は人間の認識能力、記憶能力、表現能力などとは比較にならぬ高度の科学的正確性をもつているのであるが、被写体の選択、撮影条件の設定は撮影者の主観的評価、作為に基づくもので、この過程の如何によつてはかえつて一定の偏見を植えつけ、或いは誇張した印象を押しつけるなど客観的事件の正確な再現がそこなわれる危険性が存在し、さらには科学的正確性の信用を利用して偽造変造を行い全く客観的な事件と異なる事件を再現する危険性もないとはいえないばかりでなく、写真の科学的正確性をもつてしてもなおかつ、現場写真の場合その本来の意義である特定の事件を表現するにつき、その行なわれた特定の日時場所を正確に影像化することは困難であつて、このような現場写真のもつ表現の不足はこれによつて特定の事件を表現しようとした写真の撮影者の供述によつて補完されるのが当然かつ合理的であり、この意味でも現場写真をそれ自体では特定の事件が何ら表現されていない一般の証拠物と同一視することは妥当でない。従つて現場写真自体を独立して証拠化するにはその同意を得られない以上撮影者に対し尋問を行なうことが必要であつて、これによりはじめて右写真の表現せんとする意味内容が明確化されその誠実性、客観性が保障されて被告人の防禦権も全うされるのである。
そうすると、結局裁判所が第一七回公判において表明した見解すなわち現場写真を独立して証拠化するには刑訴法三二一条三項を類推適用し、同法三二六条による同意のないかぎり、単なる関連性の立証では足りず撮影者を公判廷において証人として尋問しその作成の過程について供述し真正が立証されたときに限るとの見解を変更するのは相当でないといわざるを得ない。
そこで右見解のもとでは、本件証拠調の請求が現場写真と立証事項との関連性を立証趣旨とするものである以上右請求はすべて却下すべきである。
(なお付言するのに、検察官は本件において現場写真を入手した警察官は撮影者の氏名につき証言を拒否し監督官庁によつて証言することにつき承諾を得られなかつたので、このような場合は撮影者を尋問することができない特別な事情にあたると解すべきであり、このような特別事情の存するときは撮影者以外の者の尋問によつて現場写真の証拠化をはかることができると主張するようであるが、本件においては撮影者の氏名が証言拒否によつて明らかにされていないというにすぎず、撮影者が死亡したり国外にいたり或いは精神身体の故障、所在不明のため公判廷に換問して供述を求めることができないという特別事情が存する形跡は全くなくむしろ前記鳥羽証人の証言によると撮撮影者は京都市左京区内の一定の住所に健在であることが明らかであるから、検察官の右主張は採用の限りでない。)
よつて主文のとおり決定する。
(村上保之助 隅田景一 高橋文仲)
別紙<略>